2014年02月16日

羽生選手の八戸への“凱旋”心待ち

ソチ冬季五輪のフィギュアスケート男子で、同種目として日本初の金メダリストとなった羽生結弦選手(19)。2011年3月の東日本大震災で地元・仙台市のリンクが使えず、練習場所を求めて八戸市のテクノルアイスパーク新井田に通っていた。当時、羽生選手と交流のあった八戸市内のフィギュア関係者は「おめでとう」「期待はしていたけれど、本当に『金』を取るなんてすごい」と快挙を喜び、祝福した。
 震災で、東北地方のほとんどのリンクは被災や節電の影響で使用不能に。その中で最も早い11年4月から営業再開した新井田には、全国各地の選手が練習で訪れ、復興支援アイスショーなどの会場にもなった。
 新鋭だった羽生選手も、仙台市の練習拠点が被災したため、頻繁に新井田に通った。貸し切りでの利用のほか、一般開放時間中、地元スケーターに交じって滑る機会も多かったという。
 八戸フィギュアスケートクラブのインストラクター坂本まゆみさん(41)は、選手時代に仙台市のリンクに通い、羽生選手を幼少の頃から知る一人。震災後には一緒に新井田のリンクを利用していたこともある。
 「『ゆづ』は4回転、3回転半ジャンプなど高難度な技も跳んでいた。小さい子が好きで、気さくな人柄だった」と振り返る。
 同クラブの高屋敷みなもさん(9つ)=市立白山台小3年=は「私が転んだ時、羽生選手から『大丈夫?』と優しく声を掛けてもらったよ」。懐かしそうに当時のエピソードを打ち明けた。
 金メダルが懸かった15日未明のフリー演技を「テレビにくぎ付けになり、はらはらしながら見ていた」という坂本さん。「想像を絶する重圧の中でよく頑張ったと思う。また八戸に滑りに来てほしいね」と、八戸への凱旋(がいせん)≠心待ちにした。





posted by くろいぬ at 22:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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